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zoom RSS The Smiths 『The Queen Is Dead』(1986年)

<<   作成日時 : 2017/08/28 21:12  

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よくロックの歴史のお勉強をしていると「80年代のイギリスは空白だった。アメリカ向けに活動しているバンドが多く、イギリスらしいバンドがいなかった。その中でザ・スミスだけが頑張っていた」みたいな文章をよく見かけて、僕はそれを真に受けていたのですが、今だと「キュアーもデペッシュ・モードもニュー・オーダーもエコー&ザ・バニーメンもジーザス&メリーチェーンもいるじゃん!」とか思ってしまうんです。全然「空白の80年代」じゃないじゃん!と。でもこれよくよく考えるとキュアー/デペッシュ/NOは世界的にヒットを飛ばしていたし(=アメリカでめちゃ売れた)、あとの二つはイギリスだけでのそこそこのヒットってくらいなんでしょうかね。HR/HM界を見るとわかりやすいですが、ブラックサバスの時期とソロの時のオジー・オズボーンを比べると後者がアメリカナイズされたワイルドさ・明るさを持っていて、それはリッチー・ブラックモア(ディープ・パープルと脱退後のレインボー)にも言えることで、あとはちゃんと聴いてないけどフリーとバッド・カンパニーを比べてもそうだろうし、アメリカで受けそうな80sポップ的でワイルドな方向にみんな行ってしまう、そういう時代だったのでしょうね。
「空白」と言われるのはしっくり来ないけど、だからこそNMEは「C86」というムーブメントをでっち上げたわけで俺はツイッター始めてから「こういう人たちがいたんだ!」となったわけですが…。アメリカではMTV全盛の裏でハードコア・パンク・シーンがあったように、イギリスでは手作り感あふれるインディー・レーベルからギターポップ勢が出てきていたんですね。


ザ・スミスもそのようなインディー・シーンと無縁ではなく、というかモロにそこから出てきたんですけど(ラフ・トレード)、そのバンド群のなかでようやくある程度大衆性を獲得したのが彼らだったのでしょう。

煌びやかで流麗なジョニー・マーのギターワークと、ゲイっぽいカリスマ・ボーカリストのモリッシー。この、歌の割符が謎な感じはモリッシーの詩にマーがメロディーをつけるというやり方で作曲が行われていたからなのでしょう、独自の「いびつさ」を獲得しているように思えます。
歌詞がわからないといまいち理解できない、というタイプの海外ロックバンドがいますけど、まぁR.E.Mとかレディオヘッドのことですけど、彼らもそのタイプな気はします。キュアーの(グレイテスト・ヒッツ)ほうが取っつきやすかったですもん。声もキモいしねぇ、モリッシー。「女王は死んだ」とか付けちゃう、イギリス人の皇室に対する想いとかはよくわかりませんし。

でも、例えば前作収録ですが「How Soon Is Now?」で歌われる
「自分を愛してくれる人がいるかもしれないと思ってクラブに行ってみるけど誰とも話せずに一人で帰って死にたくなる」という少年の話、これは今現在の日本でも共感する人が多いはずです。国が違っても、時代が違っても、社会に馴染めないナードやオタクがいて、彼らの目線の、彼らの為のロックを歌いある程度の成功を収めた(おそらく初めてのロックバンド)がザ・スミスだ、といえばこのバンドの歴史的重要性が見えてくると思います。しかも多くのロックが旧態依然な「セックス・ドラッグ・ロックンロール」の世界観から抜け出せない時代に(僕の大好きなジーザス&メリーチェーンだって歌詞を調べているとたいていセックスとドラッグについて暗喩で歌っている曲ばかりのように思えるわけで)。


少し話が逸れるけど、洋楽を聞く際に歌詞を意識するか?歌詞を読みながら聴くだろうか?という話をしたい。僕は、とある好きなバンドの和訳を読んでみたらかなり凡庸なラブソングでがっかりした記憶があり、それにそもそも洋楽を聞くようになったきっかけをくれたのは英語詞で歌う日本のバンドなのだけど、それも「歌詞がわからなくてもメロディーやサウンドで楽しめる」ようになったからで、それまでは歌詞を重視して邦楽を聴いていたんです(今でもある程度その傾向は強いけども…)。
だから洋楽は歌詞を意識しなかったんですが、最近、ごく一部の大好きなバンドの和訳を調べたりするようにはなりました。そこでザ・スミスなのです。スミスは、やっぱり和訳を見て、「へー、こんなことが歌われているんだなー」とか思いながら聴いたほうがやっぱり良いです。その理由は上記の通り(ナードのための歌詞だから)ですけど、本当に最近グッと来るのですよ。


本作においては、M-2「Frankly, Mr. Shankly」は、
はっきり申し上げます、ミスター・シャンクリー
お陰様で僕が任せてもらってる仕事ですけども
食べるには困らないんですがね魂が腐りそうで
辞めようと思ってるんですが引き止めやしませんね
僕は音楽史にでも名前を残そうかと思ってるんです

と言う感じでフリーター、非正規社員の悲哀と憎しみの歌で、
名声、名声、人を破滅させるほどの
それは人の脳に恐ろしい悪戯をする
だけどやっぱり名声ってすてきなんだ
清潔な人とか敬虔な人とか言われるよりも
やっぱり有名人のほうがいいやって思いますね

なんてSyrup16gだよ、これ読んで完全にシロップは日本のスミスだと思いましたね、「I’m 劣勢」と「夢」を思い出してしまったよ…!(一応「夢」を引用する。「有名になりたいな/この空しい日々を塗りつぶせるなら/なんてしょうもない幻想を/俺はいつまで大事にしてんだ」)

M-3「I Know It's Over」は、
終わったんだと分かってる
でもまだ僕はしがみついてる

君がとても面白い人なら
なぜ君は今夜 一人ぼっちなんだい?
君がそんなに賢い人なら
なぜ君は今夜 一人ぼっちなんだい?
君がとても愉快な人なら
なぜ君は今夜 一人ぼっちなんだい?
君がとても素敵な人なら
なぜ君は今夜 一人で眠るんだい?



とかキラーフレーズの応酬だ…。他にも、M-6「Bigmouth Strikes Again」はすぐ軽口を叩いてしまった後に後悔してしまうという内容で「僕なんか人類のくくりに入る資格もない」というほどの自己嫌悪っぷりなんだけど、これってレディオヘッドの「the bends」の「僕は生きたい、呼吸をしたい、人類の一員に加えられたい」ってくだりはこの曲を意識しているのかね。

M-7「The Boy With the Thorn in His Side」では
まだ僕のことを信じていないのだろうか。
今信じないのなら、
信じるつもりがあるのだろうか。
今信じなくて、一体いつ信じてくれるんだろうか

と、自分(聴き手)のピュアネスを他人にぶつけたかと思えばラストでは
生きていこうと思った時、
君はどうやって始めるんだい?
君はどこへ向かうんだい?
君が知りあいたい人って誰なんだい?

と、結局自分のどうしようもなさを吐露していく。

こんな調子のアルバムだが、M-9では少し、このアルバムの主人公は愛されて、自分を受けいれてくれる場所を見つけたように思える。
連れて行ってよ
音楽があってたくさん人がいるとこに
そこではみんなが若くて
生き生きしてる
その車に一緒に乗ってる時は
家になんか帰りたくない
だってもう
帰るところなんてないんだから

今晩誘ってよ
みんなに会って
本当の人生ってものを知りたいから
車に一緒に乗ってる時は
もう家の前で降ろさないでよ
だってあそこはもう
自分の家じゃないんだから
あいつらが住んでる家だけど
もう邪魔者扱いされてるから


でもその時にこの曲の主人公が思うのは、
今ここで
二階建てバスが突っ込んで来て
一緒に死んじゃったとしたら
それはそれで幸せだよ
だって最高の死に方だから
それから10トントラックに
一緒に轢かれて死んじゃっても
そばで死ねるってことだから
それだって悪くない
特別な死に方って気がするよ

なのだ。本当にどうしようもない。なんでこんなにネガティヴなんだ。でも、でも一度は、いや何度も僕はこんなことを思ったことがある。多分、これを読んでいる貴方も。余計な補足はいらないだろう、これは今現在聴いても響くアウトサイダーのための歌だ。「俺は無政府主義者だ」と歌われるよりもよりも共感できる、キモオタのためのパンク・ロックだ。以降のUKロックやアメリカのオルタナティヴ・ロックに多大な影響を与えたのは想像に難くないし、また、この歌に説得力を持たせているのは堅実なリズム隊とジョニー・マーの美しいギター、一見わかりにくいかもしれないがチャーミングな歌メロであり、そのバンド・サウンドも後進に強く影響を与えたことを忘れてはいけないでしょう。






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