The Mirraz『TOP OF THE FUCK’N WORLD』(2010年)

画像



名前が知られているような近年の邦ロックバンドの中ではもっとも期待をしていたのがこのミイラズだったと言っていい。
彼等はこの3rdアルバムで、早くも、自身の売り込みポイントであったアークティック・モンキーズのパクリから脱却している。とうとうその時がきましたか or もうそこ離脱すんの?大丈夫?な期待と不安が高まりつつ聴いた。
単音リフや三連キメ、ダンスナブルなビートに矢継ぎ早に放たれる言葉・・・・・・それらは、今まではアクモンをそのまま借用したり、それを日本語に落とし込むことに苦心していたように思ったが、、今回はもう既にそのような要素がしっかり消化され、完全に自分たちの血肉にしたように思える。

そして、サウンドは、彼らのアルバムに1曲は入っていた、「シスター」や「イフタム!ヤー!シムシム!」のようなディレイ・ギターの美しさを生かしたサウンドが、全体にちりばめられたような感じ。あの方向性も完全に咀嚼した印象。リリックの裏で顔を出す、繊細なギターラインがメランコリックで良い。



曲(の方向性)をざっと見ていくと、個人的にはハードロック風リフに思えるんだけど畠山は全然違うと否定してたM-1「TOP OF THE FUCK'N WORLD」で幕を開ける。これはM.I.Aのビートを意識したという。
M-2「サーチアンドデスとロイ~」は前作までの延長線上にあるような雰囲気で、軽快な16ビートが映えている。音自体が軽くポップになったような気がする。
M-3「Let's go DISCO、そしていつもキスを」はツアーで共演したテレフォンズをパロったサビが笑える。
M-4「ハッピーアイスクリーム」は先述した繊細なディレイ・サウンドが血肉化され、ギターストロークとリズムと、それに乗る言葉の詰め込み方が明らかに無理がある部分(笑)が新しく、リード曲にふさわしい出来。元ネタはKings Of Leonの「Use Somebody」、ドラムはビートルズの 「tomorrow never knows」であるという。
それこそアクモン譲りのエッジィなギターリフがあるM-5「医学的に~」や、一気にまくしたてるM-6「ふぁっきゅー」、この辺は攻撃的な側面に寄った楽曲。M-8「完全犯罪の方法」、M-9「Make Some Noizeeeeeeeeeeee!!!!」もそうだろう。

しかし、M-7「君の料理」、M-10「ただいま、おかえり」の2曲は対照的に優しい歌ものとなっていて、前者は(後述するが)特にRADWIMPSを髣髴とさせる。させないほうがおかしいくらい。

M-11「ハイウェイ☆スター」はハードロック好きなドラマーのためにハードロック意識の曲を作ったらしいが、これM-5と絶対カブってると思うんすけど。
M-12「いつまでたってもイスタンブール」はスウィンギンなロックンロールを思い起こさせ、M-12「オーライオーライ」はまたBrianstormですか?と飽きれつつ、M-14「グッバイ…エイジ・ダテ」は前作のラストのようにひじょーにやるせない雰囲気でアルバムが終わる。



それで、気になった部分としては、まずやっぱ「RADっぽくね?」ということで、畠山はスヌーザー(2010年6月号)なんかでも言っていた通り、「(「シスター」や「イフタム」は)「バンプやラッドのような依存系っぽい部分がある」ということで、かなり彼等を研究しているらしい、いわば意図的にやってることのようなのだ。「僕の料理」は特に選んでるテーマがRADっぽい(だってあいつら「ごはんとおかず」じゃん。)し、今隣にいる恋人とずっとずっと、年をとってジジイババアになっても100年経っても、ずっと変わらず愛してるよ、みたいな歌じゃない。僕はてっきり畠山のもつ言葉や世界観がたまたまRADに近かっただけだと思っていたけども。

「ハッピーアイスクリーム」も、基本的には君と僕についてぐちぐち考えるっていう歌で、僕はそこまでリリックに感情移入できなかったりする。やっぱり、僕がRADの苦手な部分がそこなので、それを引き継ぐミイラズに、ちょっと前作よりは距離を感じてしまったというのが正直なところ。


しかし、またまたスヌーザーで申し訳ないのだが田中宗一郎が彼等が表紙になった号で、ミイラズの魅力を「零れ落ちるメランコリアややるせなさ」だと言っていて僕はハッとした。そう、ここまで攻撃的で、あざとくて、でも魅力があると思えるのはそんな部分だった。本作の「ただいま、おかえり」は、愛する人に向けられたただのラブソングなんかじゃない。変わり映えのしない退屈な日常の描写から、誰が夢見ても怒られないような、あくまでささやかな家庭的幸せを、「そんなクソみたいな夢をたまに見るんだ/そんな年老いた未来を想像するんだ」と願う。それは、今現在がそんな家庭的幸せから遠い所にいるから、そう願うんじゃないだろうか。もしくは今、愛する女性と一緒にいて幸せでも、じゃあそれがずっと続くんだろうか?夢に見た未来を俺は見れるんだろうか?そう、だからこそこのバンドは歌っている。
「終わらないものなんてこの世界に本当にあるのかな」「いつまでも続くものがあるのかな/ドラゴンボールも終わってしまったし/ワンピースも終わってしまうんだろうな」、と。

このやるせなさが、彼等を僕が支持する理由の一つなのだ。



話は変わるが、彼らはなぜバンプやRADを執拗に意識するのか。畠山はサザンやミスチルみたいに売れたい、という。売れたい理由は金銭的欲望では無く、そこまでのセールス、位置に立ったら自分はどうなるんだろう?体験してみたい、ということらしい。
ま、それはいいとして、恐らく売れたいからこそバンプやラッドを研究する、そして彼らが支持を得ている理由は「依存的」な世界観によるものだと。
「依存的」というのが僕も上手く説明できないのだが、いわゆるロックにありがちな救済感覚を、セカイ系以降のこんがらがった現代っ子っぽい自意識の上で展開すると、そんな感じだろう(俺は自分で何を書いてるかわかっているんだろうか)。

でも、それにミイラズ堪え切れるのか?引き受けられるの?と疑問に思う。もともと、「アークティックモンキーズのパクリ」っていうのも売名戦略だったわけで、それで洋楽好きな奴とかが寄ってきたわけだよね。スヌーザーもそれに引っかかって寄ってきたと。でも、今はそういう音楽的な面よりも「畠山さんの歌詞超優しいですう、共感しますう」みたいなyoutubeのコメント欄なわけじゃん?(すっごい悪意的な言い方しましたよ、ごめんよ。)

で、それをミイラズ自身も分かってると思うんだけど。んで、ミイラズの軸みたいなもの(攻撃性とか風刺とか)はブレさせず、バンプやラッドがやった、ウジウジした自意識リリックを取り入れていく、それで売れていくっていう戦略みたいなんだけど(最近ようやく分かった)、後者が重くなって来やしないんですかね?っていう邪推っていうか心配はありますね。だから次作は重いやつ、全体的にファンを裏切るような攻撃的なやつ欲しいな(願望)。



話を広げるけど、やっぱ理想的な売れ方ってあると思うんすよね。音楽的な事が結構評価されつつ、死ぬほど売れる(国民的バンドになる)っていうサザンやミスチルみたいな売れ方は、今からは厳しいと思う。売れてもなかなか長持ちしないってのが現状だと思うし(多くの一発屋的J-POP)。

それで、ロックバンドの売れ方ってのはいろいろあって、(畠山の考察通りだとすると)ウジウジな自意識を展開して支持を得るっていうバンプ・ラッド的な売れ方は、やっぱ若い層にしか受けないと思う訳で。んで、J-POP化してセルアウトしますよ、っていうのがレミオロメンだった。トップにいながらも、「J-POPに媚びもせずマンネリにも陥らず、でもファンを大きく裏切ることもしないし、やりたいこともある程度できてるよ」みたいなほぼ理想的にバランスを取っているのがアジカンだけど、彼等はロックファンの最大公約数だとしても、一般の人たちからの知名度はかなり低く、つまりバランスうまく取ったからこそ売り上げだけは微妙っていう。

そこで僕が理想だと思うロック・ミュージシャンの売れ方は今の椎名林檎とYUKI。ギリギリでスピッツ入れてもいい。ロックファンの最大公約数でありがなら、一般の人も知ってる。呑み会の2次会カラオケで歌っても別に違和感ない。っていうような立ち位置。ミイラズにはぜひここを目指して欲しい(コレ狙ってるのがサカナクションで、個人的にはアジカンもここに来れればいいねって思う)んだけど、挙げた人たちは長いキャリアの積み重ねでここまで来ているわけで、まあ難しいわなー。一朝一夕じゃRADみたいに成りあがるしかないのかなーと。まあ、完全に蛇足で駄文。



また話は変わって、僕はミイラズの攻撃的な側面や皮肉や風刺の歌詞が凄く好きで、本作だとM-1、2、5、6、8、9.(かなり多い)。
歌詞カード広げてみると、彼らは今回さらに「もがいている」と思った。

彼らの主張は「クソみたいな世界で死にたくなるけど、死ぬのは怖いっていゆーか死んだら流石に終わりっしょ?じゃあこのまま生きてくしかない」っていうことで、まあ単純な結論なんだけどそれは僕はひたすらに同意するわけです。そしてその結論出すまでもがいて、出しても足掻いてる。


「このクソくだらない世界で/躁鬱病になったって/会社クビになったって/アル中になったって/君に見捨てられたって/宗教に入ったって/借金抱えたって/ハゲたって/生きていくんだ」

愛なんてただ「ヤりたいだけなんじゃない?」とか思って、でもヤったら「やっぱこれが愛だよ」なんて思って、でも彼女は離れてって、泣きながら去りゆく自分すら見てくれない。「死刑になってだって生きてる/時効になってだって生きてる」ような世の中じゃ、恋しくなんかないし悲しくなんかない。「愛なんかねーよ/アホか/でも信じたい/オレはマヌケさ」。

そう、まるで世界は「絡み絡み合ったコードの中」で、「正義も悪も夢も希望も」無い時代に、それでも彼らは立ち向かう。「人生なんてそんなもんさ」なんて呟きながら、「もういいや死んじゃいたい」と「大仁田引退試合」で韻踏みながら、やっぱり自分の為だけに彼女に歌を捧げながら、「うまくやっていこう」とする。そういう本作の本旨自体は同意し支持いたします。



そしてこれまた蛇足ですが、それってやっぱ傷ついても他人とコミュニケーションを取るってことに繋がっていくと思うのね。それが「傷つけあう=分かりあうだなんて最初っから分かってたはずだろ」な訳じゃんね。セカイ系が引きこもりだって言われたけど、そういう作品って傷ついてもコミュニケーションしましょうっていう、そこにしか希望無いよっていうもの多いと思うんですよね。まあ、それが人間なんでしょう、だからいろんな作品に言えることだけど、例えばエヴァンゲリオンもそういう話じゃない。みんな一つになったらしーけど、シンジとアスカは首絞め合ってでも生きてきますよ、散々傷ついたけどもう一回また傷つきますよ、って。そこにセカイ系の血を引くバンプにラッド、それをかすめ取ろうとしているミイラズ(もっと言えば下北系や、それに片足沈めて「ヤベエヤベエ」って言ってたアジカン)がどうなっていくのか、っていうのが興味あるし、このクソみたいな日常と音楽シーンをサヴァイヴして俺の琴線に触れるヒントなんじゃねーの、って思いマシータ。(日本語でおk)



評価:8.4






ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 4

面白い 面白い 面白い
ナイス

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック