空白依存症

アクセスカウンタ

zoom RSS Eagles 『Hotel California』(1976年)

<<   作成日時 : 2016/08/01 00:40   >>

ブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 0

画像



60年代は本当にロックで、音楽で、世界を変えようとしていた時代だった。自然との共生を掲げ従来の慣習に楯突いたヒッピー、未知の可能性を追及したサイケデリクス。これらの挑戦は全く無駄なことだったとは思わないけれど、それらを「夢」とするならば、ベトナム戦争を止められなかったこと、そしてロックの商業化を迎えた70年代によって「夢」は露と消えていく。


60年代のヒッピーカルチャーを牽引していたのは西海岸である。いや、フォーク・ロックやカントリー・ロックを含めて、60年代のロックの一大拠点とも言うべきか。ウエストコースト・ロック、つまりはカルフォルニア。ジェファーソン・エアプレイン、グレイトフル・デッド、ママス&パパス、バッファロー・スプリングフィールド…。70年代に入っても、ニールヤングやジャクソン・ブラウンのようなシンガーソングライターを輩出。サウンドは洗練されていき、ドゥービー・ブラザーズのようなバンドも現れるのだが、その西海岸ブランド、西海岸サウンドの完成系がこのイーグルスだ。


僕はイーグルスが「聴かず嫌い」だった。
何故なら、この「Hotel California」が「ロックの産業化に対する懺悔」だとかという話を、名盤ガイドや雑誌で得た情報で知っていたからだ。この次の年にパンク・ロックが全盛を迎えるが、「結局、産業化に対する革命はパンクロックの登場を待たなければならなかった。」みたいな説明がもううんざりでね。
いやいや、ロックが腐りきっていることが自分たちで分かっているなら自分たちで批判していけよ!進化しすぎて行き詰まっちゃったね、ってそれ解ってるんだったら自分たちで壊しにいけよ!新しい事やっていけよ!それがロックだろ!と。なに「60年代、あの頃は夢があって良かった……」とか感傷に浸ってんだよ!
などと思っていたのです。(楽曲的にも洗練されたドラマチックなラテン・ロックというのがダサく思えました)


しかし最近自分も(悲しいことだが)わかるようになってきた。最近どうも日本の若くて売れているバンドがピンと来なくて、すぐに「○○の劣化版だろ」「××を今風にしただけだろ」「アレにアレを足しただけでしょ?」とか思ってしまう。曲がりなりにも十数年ロックを聴いてるとだいたい元ネタみたいなのが分かってしまう。それはここ最近の邦ロックがここ十数年の邦ロックから引用・組み合わせている(ものが売れやすい?)ことも原因だと僕は思うのだけれど……。俺が熱中したころのロキノン系ってまだ海外文化であるロック、特に90sにどう日本語で立ち向かっていくか真面目に取り組んでたじゃん!とか思うんだけど!
話が逸れていくので戻すが、僕も「ロック終わりかな…」とか思ったりする。
でもこの感覚って僕の10歳上の人だってかつて経験してるはず。その上の世代も経験してるはず。いつの時代もロックは終わったって言われ続けてきた。でもロックは新しい世代によって新しい世代のために語られ続ける。


ま、何が言いたいのかというと、「夢は終わったんだ」と歌う「ホテル・カルフォルニア」に、ようやく共感できそうな感じなのだということです。イーグルスが感じたのは、こんな誰しも(どんなロックリスナーでも)感じるであろう「自分の好きなカルチャーが変化したこと(で自分がついていけなくなった事)に対するいらだち」みたいなレベルの話では無くて(笑)、本当にロックの産業化、拡張化に対する違和感があったということなのだろうし、それは今現在ロック史を俯瞰してみてもその違和感は正しかったと言えるだろう。


表題曲「ホテル・カルフォルニア」のウィキペディアを見ると(ウィキに頼りがち)なかなか興味深かったというのも、自分のイーグルス理解の第一歩でもある。
カリフォルニアの砂漠にあるホテルに立ち寄った旅行者が、快適な日々を送ったが堕落して快楽主義的なすごし方を続ける滞在客たちに嫌気して、以前の自分の日常生活に戻るためホテルを去ろうとしたものの、離れようにも離れられなくなった、というあらすじ。

旅人が注文した「自分の(好みの銘柄の)ワイン」がなく、「そのような酒(spirit)はこちらにはご用意しておりません、1969年以来…」というところは確かにヤバい。もちろんspiritは「魂(スピリッツ)」と掛けている。1969年とはウッドストック・フェスティバルのことであり、60年代の終わりという意味なのだろう。
「しょせんみんなここの囚人だ、自分の意思で囚われた…」という一節も、ロックシーンの中で、腐っていくもののそれを打破できない自分達の状況の比喩なのだろう。
個人的には「彼らは磨かれたナイフ(steely knives)でそれを刺す/でも彼らは獣を殺すことが出来ない」の部分が「Steely Danをもってしてもロックの産業化は止められなかった」と解釈する説がある、というのがヤバいなと思った。


他の楽曲も、M-2「New Kid In Town」では「街には新しい男が現れた/誰もが彼に興味津々」「ああ なんてことだ/街には新顔が現れた/君じゃない新しいヤツなんだ」と、移り変わりの激しいシーンの比喩ともとれる歌詞が歌われ、M-3「Life In The Fast Lane」では追い越し車線でスピードを出す若者を描いている。M-9「The Last Resort
」は原住民を追い出して欲望のままに国を奪い作り上げた白人のことを歌っている。いずれも、刹那的な人間に対する悲しみや切なさ、もしくは産業化するシーンひいてはアメリカという国に対する皮肉が歌われている。この辺りは表題曲とも重なるテーマで、本作はコンセプト・アルバムと言ってもいいのかもしれない。


音楽性としては、冒頭の華々しいラテン・ロックが続くわけでは無く、そもそもカントリー・ロックが得意な彼らにしてはハードなロック的側面が見えるアルバムであるようだ(M-3、M-6辺りか)。洗練はされている。その辺の好みはあるだろうが、M-4「Wasted Time」は甘いバラードで、あとは後半の切なげなナンバーは流石に僕も感傷的になる。やはりM-9「The Last Resort」だ。カントリー的なギターが、70年代的な脂の乗った(彼らが皮肉を向けた)産業的・洗練サウンドとどうにか折衷されており、スケール感がありながらもひどく切ない。


腐っていく組織の内側にいながら、内側にいるからこそ何も変えられない苦しみ。僕も少しくらいはわかるつもりだ。大人になるとそういうことばかりだからさ。






テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
Eagles 『Hotel California』(1976年) 空白依存症/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる